差別用語です。
少し前に「支那は差別用語ではない」と言いながら差別的な発言をしている人間がおり、それについてXに投稿したところ面倒くさい奴に絡まれたのでネタにする。
私自身は中国というならず者国家に対して辟易する気持ちがあるが、一方でこのような主張や、何かあればすぐ「国交断絶だ」だの、「撃ち落とせ」だのと言う人間とは一線引いておきたいと思っている。すぐ感情的になり過ぎ。
本記事ではあくまで「支那」という名称の使用是非を論じるのであって、それ以外の、特に中国の不当な行為等についての是非は触れない。それも加味して感情的に「いや、あいつらは見下げるべき相手だ」と言うのは構わないが、そういった意味で「支那」という名称をつかうのであれば差別的な意味でつかっていると認めるべき。
「支那」が差別用語たる理由
まず日本国内において中国を指す言葉はそのまま「中国」が一般的であり、そこであえて「支那」と呼ぶのは他意=差別的な、侮蔑の意味合いがあるからに他ならない。それを誤魔化そうとしても無駄。なお、言うまでもなく「中国」は「中華人民共和国」の略である。
ではなぜ「支那」は差別的な意味を持つようになったか。それは戦時中、日本が当時の中国に侵攻する上で敵対勢力≒見下すべき相手、容赦なく排除して良い存在、人権を侵害して良い相手を指す言葉として使用したから。ゆえに中国は日本から「支那」と呼ばれることに反発する。
確かに最も古い起源をたどれば「支那」は地名をあらわす「cina」が由来ではあるのだが、問題はその言葉がどのように使用され、どのような意味合いを持つかだろう。海外ではChinaなどの名称が一般的でそれが許容されているが、それは日本以外でChinaという名称に侮蔑の意味が無いからに過ぎない。
今では差別的とされる言葉の多くは最初から差別的、侮蔑の意味があった訳ではない。たとえば「発狂」という言葉は精神的に大きく取り乱すという意味しか無かったが、近年では精神疾患に対する偏見が含まれているとして公的には使用されなくなった。「片輪」や「聾」といった言葉も最初は今でいう「身体障害者」や「聴覚障がい者」という意味だった*1。言葉はその意味、ニュアンスも含めて変化する。
第一、相手が嫌がる名称をわざわざ使用する必要はない。それだけでも十分な嫌がらせである。「これは蔑称ではありません」と主張するのは結構だが、受け手がそう思わないのであれば正当性は無い。それに、「支那は差別用語ではない」と言い張る人々が一番差別的に、侮蔑の意味で「支那」という言葉をつかいたがっているではないか。
そういった不道徳をご都合主義で許容し、感情論で増長させる「保守」を自称する者たちは見ていて恥ずかしい。精神的に幼く、保守と一括りにされたくない。常に「敵か味方か」でしか物事を考えられない者に平和は作れない。作る気も無いのか知らんが。
「支那そば」が許される理由
「支那は差別用語ではない」と主張する者の言い分の1つに、「支那そば」や「東シナ海」が差別的と見なされないことがある。
しかし「支那そば」は特定の料理を指す名称、「東シナ海」は学術的な名称であって、そこに差別的な意味は込められていない。侮蔑の意味を込めて特定の国家を指してつかう言葉とは本質的に違う。それをあえて無視して都合の良い主張をするのはそれこそ軽蔑に値する。
たとえばメクラチビゴミムシという酷い名称の虫がいるが、本質的には差別用語として使用されるものではなく、学名にも対応しているとして改名されていない。これ以外では差別用語にあたるとして改名された種もいるのだが、それに沿うのであればやるべきは差別用語を含む名称の変更であって、「『支那そば』が許されているから『支那』は差別用語ではない」という主張ではない。
問題はその言葉の運用実態。
Chinaが許されて「支那」が許されない理由
「世界的に見れば『China』≒支那の方が一般的だと調べれば誰でも分かる」などと言う輩がいたが、冒頭で述べたように日本ではその言葉の扱いが世界と異なるものであった。そこで付与された意味合いを今さら変えることは出来ない。
日本政府として「支那」という言葉を使用しないようになった経緯も調べれば誰でも分かるのだが(上から4問目)、どうやらそれは調べていないらしい。
大体「うちはうち、よそはよそ」、日本国内の話をしているのに随分と都合の良い時だけ世界基準を持ち出して来るじゃねえか。普段は「日本は無理やり世界基準に合わせる必要なんか無い」と言っているのに。
別にそれはそれで良いと思うが(特に難民受け入れについては)、あまりにご都合主義的過ぎて笑ってしまう。主張に芯が無い。それで保守、世界に恥じない日本民族を気取っているのだから滑稽でしかない。「お天道様は見てる」などと言いながらお天道様に見られて恥ずかしいようなことを平気でする、それが今の自称「保守」。
一般的に見れば「支那」という言葉をつかう時点で「お察し」です。お気をつけください。でも「サヨク」って言葉はついつかってしまう(自戒)。「侮蔑の意味でつかってません」とは言うまいが。
*1:片輪は戦で役に立てなくなった者という意味もあった