ヤマネコ目線

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「被災地に段ボールすらない」から「酷い国」なのか

 X (旧Twitter)にて、一部の人間が「ミサイルやオスプレイに使う金はあるのに、未だに被災地に段ボールすら足りていない。なんて酷い国なんだ」、などと抜かしているのが我慢ならないので書いておく。

優先順位を考えろ

 まず最優先は人命救助。各地の消防から救助部隊が派遣されている。次に被災地の秩序の維持。警察には警察災害派遣隊という部隊がある。主に被災地の避難誘導や交通整理、検死などを行う。自衛隊は人命救助および支援物資の輸送を担う。2024年1月3日時点の報道によれば水や食料、ストーブ、トイレが不足している。生活必需品の輸送が最優先であって段ボールが足りないなどというのは些末なこと。報道では被災地に毛布が届けられる様子が映っていた。段ボールよりも重要な物資といえる。

 それもまだ被災地の道路はガタガタ。1月1日16時頃の地震発生からまだそう時間は経っていない。自衛隊が大型輸送ヘリで物資等を輸送してはいるが、隅々まであらゆる支援物資を届けるのは難しいだろう。結局、「段ボールが足りないから日本は酷い国だ」などと抜かすような奴らは安全地帯から現場にあれが足りないこれが足りないとヤジを飛ばして、彼らから見た”不手際”を自分たちの政治的主張に利用したいだけ。被災地の不幸を山車に自分たちにとって気に食わないものを叩きたいだけ。なんと卑怯、卑しい連中か。

自衛隊を「人殺し集団」と呼ぶ連中

 彼らの主張が共感を呼ぶことはない。批判するだけで何も出来ない人間と、実際に被災地で救助活動や物資輸送にあたっている人々、どちらに感謝するべきかは火を見るより明らかだ。災害に乗じて自衛隊を批判することがいかに的外れであるか理解していない、できていないからいつまで経ってもそういう連中はノイジーマイノリティ。

 第一、「人殺し集団」とさも悪いように言うがそれの何が悪いのか。誰かが我々の命を脅かす場合、自分自身の命を守るために反撃することには正当性がある。だからこそ最高裁判所自衛隊の存在を合憲と判断し、多くの国民が自衛隊の存在を認めている。「殺すくらいなら殺されよう」などと言えるのは一部の愚か者だけだ。実際に命の危機に瀕してみれば、そうは言っていられまい。

 この地上でもっとも高い知能を持つ生物、人を殺せるだけの力を持った集団、その力をもってすれば人の命を救うことも出来る。「災害支援は別に自衛隊でなくても出来る」という意見もあるだろうが、消防や警察は地方公共団体の管轄である。それでもどうにもならない場合に自衛隊が派遣される。また、自衛隊は消防や警察よりも広範な災害対応にあたることができる。福島第一原発事故における冷却水の空中投下などは自衛隊の任務の範疇。逆に消防や警察に自衛隊と同レベルの任務遂行能力を求められるだろうか。いや、無理だろう。

 自衛隊、安全保障、自分たちの生命の安寧の確保、それを蔑ろにするような主張はどのような理由をつけようが受け入れられはしない。いかに崇高な理想を掲げて正当化しようが共感は生まない。「生きていること」は我々がこの世界において活動する上でもっとも基礎的な前提なのだから。

余談:オスプレイは飛ばせない

 オスプレイ災害派遣に使えば少しは心象がよくなるのにと思ったが昨年、米軍のオスプレイが墜落し、米軍において全機が飛行停止となっている。自衛隊内でどのような指示になっているか知らないが、災害が相次いでいる中で飛ばさないのは正解かもしれない。災害派遣のエリアもCH-47 (プロペラが2枚の大型ヘリ)でカバーできる範囲だろう*1

 ただそれを逆手にとって「オスプレイは役立たず」というのは違うだろう。タイミングが悪いのはどうしようも無いし、オスプレイの真価は長い航続距離にある。より広い範囲(遠い距離)への輸送などには役に立つ。はず。

 なお、一部でV-280バローを引き合いに出して「オスプレイの後継機がもう出てきた!日本は失敗作を在庫処分に押し付けられたんだ」、などと騒いでいる奴らがいるが、V-280はUH-60の後継でありオスプレイとは若干目的が異なる。輸送可能な重量なども違う。第一、アメリカ軍はオスプレイとV-280を同時に運用している。後継機ならば入れ替えられる=オスプレイは退役する訳だが現にそうではない。

*1:CH-47の作戦行動半径は約370km、石川県の端から端までで約175km