ヤマネコ目線

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ナウシカは原作漫画を読んでから

 エヴァを終わらせた庵野監督、次の作品への期待としてTwitterナウシカの名が挙がっていた(正直、私は期待していない)。そこで改めて言いたいのが、ナウシカはぜひ原作マンガを読んでくれという事。

原発はあまり関係ない

 たまにナウシカは反原発、シュワの墓所原発のメタファーみたいな事を言われるが、原作マンガをちゃんと読んでいればそんな事は間違いだとすぐ気づく。

 確かに「毒の光」や「汚染された世界」などは放射能、核廃棄物に汚染された世界を暗示しているのかも知れないが、それが原子力発電所由来とは書かれていない(むしろ核戦争のが近いのではないか)し、シュワの墓所には原発とは全く異なる中身、役割がある。シュワの墓所やその中身から出た技術に関するメッセージ性では、生命倫理が占める部分が大きい。

 もし関係あるとすれば、作中では「火」と呼ばれるある種、人間の手には負えないようなエネルギーを人間が扱う事に対しての警鐘がそれに当たる。作中で出てくるのはやはり発電よりも兵器としての運用だが。

 余談だがシュワの墓所は地図的に言えば内陸、広大な盆地にあって近くに水辺や川はない。万が一の時に水が補給できるよう、川や海の近くに建造される原発とはその点でも異なる(というかマジでただの建物じゃねえ)。

アニメ化にあたって消された人々

 原作マンガを初めて読んだ時、冒頭からアニメ映画では登場しなかった人々が出て来て驚いた。率直に言って被差別階級の人々である。

 蟲使いと呼ばれる彼らはみな全身(顔も含む)を覆う装備を身に着け、大型のナメクジのような蟲を警察犬のように使役する。トルメキア軍に雇われているがその扱いは明らかに格下であり、臭い近寄るなと言われつつ、必要な時は蟲に死体を漁らせて重要な物がないか探ったり、金品を収奪している。トルメキア軍に限らず、他の勢力からも差別的な扱いをされているのは変わりない。

 アニメ映画で消されているのは、部落差別を意識したからだろうか。しかしそういった「配慮」で消してしまって良い人たちだったのだろうか疑問である。もし庵野監督がシン・ナウシカをやるとしたら、またもや消されてしまうのだろうか。

アニメ映画はまだまだ序盤

 原作マンガを読んだことがない人も聞いた事はあるかも知れないが、ナウシカのアニメ映画は原作マンガ(全7巻)のうち2巻程度までである。というか2時間の映画に収めるために、展開も結構変わっている(宮崎駿監督は後に、映画でナウシカを神格化し過ぎたと後悔していたとも)。

 何にせよ原作はアニメ映画のような所ではまだまだ終わらないし、その先の方がずっと深く妖しく面白い内容になっている。アニメ映画では欠片も出てこなかった要素が結構出てくる(土鬼とかヒドラとか)。アニメ映画は興行的には成功だったのだろうが、原作マンガを読んだ後では物足りないにもほどがある。

もう一人の主人公、クシャナ

 アニメ映画では小物臭い人物となってしまったトルメキア第4皇女クシャナ。しかし原作マンガではナウシカに匹敵する主人公的な動きをする。詳しくはぜひ原作マンガで見て欲しいが、クシャナナウシカのif、もしナウシカがトルメキアの王族に生まれていたらという存在とも言われる。強かな女性である事は終始変わりないが、ナウシカの影響を受けて変わっていく様は必見。

 ちなみにクシャナ(CUSIANAA)はナウシカ(NAUSICAA)のアナグラムである。

 

メッセージは多い

 物語全体を通して語られるテーマはやはり生命倫理、生命とは何か、生きるとは何かだろう。そこに現在の文明社会への批判、部落差別、核兵器、環境汚染、宗教、部族間対立、さまざまな問題の影が落とし込まれている。

 何はともあれ、ナウシカを語るならまず原作マンガを読もう。

 

 

 

!!この先の一節は本編の重大なネタバレを含みます!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナウシカへの批判

 最終回でのナウシカの決断、シュワの墓所の主を破壊し、旧人類の卵を壊滅させた事については時に批判がなされる。が、個人的にはあの判断は、ナウシカが人(に準ずる生命)として下すものとして、ごく当然の判断だと思える。

 かつて美しかった(であろう)世界を汚染し尽くし、汚染した世界を浄化するための生態系(=腐海)や奴隷(ナウシカたち人造人間)を造り出し、戦争で滅んでなお不死の人造生物で生命を弄び、弄んだ生命の犠牲の上にまた復活しようとする人類。再び世界を汚染し尽くし、戦争し、生命を弄ぶであろう人類の復活を、もしナウシカの立場であったら許せるだろうか。自分たちが散々苦しめられて来た世界、生態系、果ては自分たちそのものが「旧人類に作られた都合の良い存在」で、結局はその犠牲の上にその元凶となった種族が復活する、そんな事が許せるだろうか。

 裏を返せばそういった人類に種として復活する(あるいは存続する)資格はない、という話であり、大きく言えば都合の良いように何でも好き勝手にしようとする人類への批判でもあるだろう。