ヤマネコ目線

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「国ガチャ」当たり論にモノ申したい

 書き散らし。野田元総理の発言でXが盛り上がっていた。

news.yahoo.co.jp

(記事題:「国ガチャに当たったと言える国をつくろう」 野田佳彦元首相、立憲民主党の新代表に選出も、投票前の決意表明に賛否)

「国ガチャ」という言葉が生まれるまで

*あくまで私が見た範囲での流れなので正確性に欠ける可能性があります

 ガチャガチャという玩具の販売機がある。ご存知の通り硬貨を入れてダイヤルを回すと、ガチャガチャと音を立てて丸いカプセルに入った玩具がランダムに排出されるあのマシンだ。

 ソーシャルゲームにおいては特定のアイテムを消費してランダムにアイテム等が手に入るシステムがあり、お金を払って*1ランダムなものを得る様をガチャガチャになぞらえて「ガチャ」と呼ぶようになった。「ガチャを引く」と言うと今日では一般的に「ゲームでランダムなアイテム獲得制度を使う」ことを指す。

 ゲームのガチャにおいては強いキャラ、使いやすいアイテム等が排出される確率は低く、しかしながらそれらを当てればゲームを有利に進めることが出来る。「それを最低限持っていなければお話にならないキャラ・アイテム」を「人権」と言ったりする。

 ここからさらに言葉の意味は派生し、「親ガチャ」という言葉が生まれた。子は親を選べない=擬似的にランダム性があると見なせる。人生というゲームを有利に進めるためにはそこで”当たり”を引くしかない、引けないと悲惨という何とも嫌な概念である。

 「そんな事を言うもんじゃない」と言うのは簡単だが、子供・若年層にここまで言わせるほど社会に格差が広がり、固定化し、若くして諦観を抱く人が増えてしまったとも取れる。一概に上の世代が批判できるものでもない。

 そこから更に?どっちが先か正確には分からないが登場したのが「国ガチャ」という言葉。おそらく「親ガチャ」という言葉に対抗し、「世界的に見て日本に生まれただけでも君たちは恵まれているんだよ」という言い分を一言に焼き直す意図があると思われる。「親ガチャ」という言葉に対して「でも国ガチャは当たりだろ」という一種のカウンター。

何が問題か

 今回の野田元総理はそういった経緯を察しているのかどうか知らないが、「国ガチャ」という言葉自体をつかうことに抵抗を覚える人がいるのも無理はない。「ガチャ」には当たり外れがある訳で、我々の基準から見てどうあれ子供がいる人、世界の国々の中で”当たり・ハズレ”を作ってしまうことはリスペクトに欠ける。

 そういった言葉を公人が使ってしまうのは批判を招いても仕方ない。野田氏が言いたいことは分からなくも無いのだが、単純に「この国に生まれて良かったと言えるような国にしよう」で良いではないか。変に若者に寄せようとして滑り倒しているパターン。

「国ガチャ」当たりかどうか

 昔から「世界を見れば君たちはこの国に生まれただけでも恵まれているんだよ」とは上の世代からよく言われたものだが、正直そんなことはどうでも良い当たりハズレで論じるのがそもそもの間違い。

 確かに世界的に見れば日本より生きづらい、豊かと言えない国の方が多い。しかしそれは日本という国の外の話であり、遠い地の話であり、我々の価値基準における話であって日本国民の我々にとって重要なのはこの国の中の話である。そこから目を逸らすために”格下の”、”ハズレ”の国を見て「あれよりはマシだから我慢せよ」と言われてもそこに進歩は無い。

 たとえばの話、給与が少ないと嘆いている人に「でもあなたはアフリカの子供より恵まれているじゃない」と言えば、それで「そうだよな」と納得すると思うか。私は「そうじゃないだろ」と思う。今なら「そう思うんだったら転職すれば?」と言われるのがオチというか正しい流れだ。

 こういうことを書くと「文句があるなら日本から出ていけ」という輩がいるが、主権者としてこの国の問題を認識し、指摘し、より良い社会に向けて動こうとすることの何が悪いのか。

 この国を発展させて来たと自負している世代の発言なのかも知れないが、そこには修正しがたい歪(ひずみ)も生まれている。その歪を修正するのは今を生きる我々、あるいはこの先の世代の使命であり、それをモラハラ的なお気持ち理論で邪魔するべきでは無い。良い側面ばかり主張されても負の側面から目を逸らす訳にはいかない。

 主権者としてではなく国家に従順な帝國臣民として生きたいのであれば、それこそ日本から出て王政か独裁主義の国にでも住んだらどうか。民主主義の足を引っ張るな。

 日本という国の威を借るタイプも「文句があるなら出ていけ」という類のことを言うが、それで保守気取りなのが嗤わせる。そういう言い方をすれば気持ちが良い、日本という国の威を借りて自分と意見が合わない者を一蹴できる、だからそのような言い方をするのだろう。本質的にはこの国を良くすること、維持することに関心が無い。それで保守を気取っているのは滑稽。

 ただし、日本国外から来て過大な要求をする外国人に対しては「嫌なら出ていけ」で良いと思う。配慮するにも限度があるし、彼らには出ていく先というか帰る先がある。無理して日本で暮らす必要は無い。

 話が逸れたが憲法では幸福を追求する権利が保障されている。今の生活水準など問題ではなく、我々は我々で上を目指す権利と必要性がある。そこで「ハズレよりは恵まれているから」などと言って立ち止まるのは怠惰であり、そのような怠惰な姿勢は正常な社会や民主主義を維持する上では害悪にすらなり得る。

 そんな意識で高度経済成長、バブル崩壊から胡坐をかいた結果が失われた30年ではないのか。何事もぼーっとしているだけでは維持出来ない。生活水準や民主主義を維持するためには上に向かって羽ばたき続けなければならず、下を見て安心している時間が長ければ地に落ちる。今は上昇できているか、それとも落下中か。

ついでに書くが

 従来の健康保険証を廃止し、マイナ保険証に1本化することを誰が決めたか分からない、経緯が記録として残っていないという。これに関して「そもそも民主党政権マイナンバーを推し進めた経緯が記録に残っていない」、という意見が見られる。

 しかし民主党政権から自民党が政権を奪還して10年以上、その間に一体何をやっていたんだ?そこで自民党に責任が無いはず無いだろ。

 むしろ自民党はそのような矛先逸らしの言説で自分たちに批判が向きづらいことを良いことに、責任の所在も意志決定の経緯も何もかも有耶無耶にして好き勝手している節すらある。マイナンバー導入の責任は民主党にあるにしてもそれを都合よく引き継ぎ、信用されない中で無理やり進めて来た責任は他ならぬ自民党にある。

余談:大げさな言い回し

 「人権」という言葉について触れたが、動画配信ではそのような大げさな言葉がウケやすい。その影響からか近年は大げさな言い回しが流行りやすいように思う。そうでなくとも「外患誘致罪で死刑」だのと強い言葉で非難するのは気持ちが良いのだろう。

 しかしそのノリ、本当にどこにでも出して良いものだろうか。特に公人がそれをやると良くない。最近では下関市長から「お悔やみトリップ」なる謎ワードも飛び出したが、身内ノリを公の場に持ち出すと滑り倒して頭を打つことになるので注意が必要である。

 

*1:無課金でもある程度は出来る