ヤマネコ目線

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文化的な死への憤り

 国立博物館をめぐる文化庁の方針に本当に頭に来ている。話の大元は財務省のようだが、そこで文化を守るために抵抗出来ないなら文化庁は「文化庁」という名称を返上するべき。

(記事題:国立博物館や美術館に収入目標、未達成なら閉館含め再編検討…30年度までに文化庁)

なぜ収益性を求めるのか

 国立の博物館や美術館を運営するにあたってそこまで収益性が重要なのか。私はそうは思わない。国立の文化財関連施設がそれを言い出すといよいよ終わりではないか。優れた美術品や文化財を少しでも多くの国民の目に触れさせるためにはむしろ収益性など度外視するべき。

 Xでは地方のハコモノ批判を引き合いに出す向きもあるが論点のすり替えも甚だしい。あくまで今回は「国立」についての話。地方のハコモノが本当に価値があるものか、それとも地元の有力者が功績づくりのためだけに誘致した無価値なものなのかは個別で判断するべき。

「館ごとにも評価し、国立科学博物館以外の館が、29年度時点で40%を下回るなどした場合、閉館を含めた再編の対象となり」

__上記記事より一部抜粋

 とあるが、閉館した場合にその収蔵物は一体どうなるのか。海外に売るか?廃棄するか?いずれにせよ衰退を続ける日本に残された文化的遺産を、日本政府は「カネにならないなら捨ててしまおう」と言うのだ。どこぞの誰かの言葉を借りるならなんと「さもしい」考え方か。そういうのを何と呼ぶかは教養の無い私でも知っている。「拝金主義」だ。

 かたや政府は訳のわからん補助金が無ければ存続しえないクソみたいな企業やNPO、クールジャパン機構(笑)や何の成果も上げられない官民ファンドには湯水のごとく税金を突っ込んでいる。余計なところに突っ込むカネはあっても文化的インフラを維持するだけのカネは無いのか。

 そうでなくとも道路陥没事故の復旧は1年以上経ってもまだ。水道の老朽化も手つかず、教育現場の待遇改善もずっと置き去りにされている。少子化対策と称しては現役世代への負担を増やし続けて少子化を加速させ、外国人はいよいよ多く、多くの国民を苦しめて来たカルト団体も今の今まで野放しでこれからの対策もする気無し。東京藝術大学は資金作りのためにピアノを売り、とうとう劇場の屋根が落ちたそうな。何がクールジャパンだ。クールなのは財布の中身だけか。

 ここ数年、毎年のように「過去最高の税収」と言うがその割には良いニュースが無い。国民にとっては日本の政府行政こそがもっとも収益性が悪い。国益にならないので捨てて良いか?捨てるべきだ。

 外国人はまだ日本の文化や秩序を素晴らしいと言ってくれるが、文化財を無駄として処分し、職人は死んで技が絶え、日本国民から精神的な豊かさが失われ続けばそれも無くなるだろう。インバウンドなんていつまでも続かない。その上で個人主義、利己主義、拝金主義がさらに蔓延すれば文化はどんどん死んで行く。日本という国が日本であるための要素が消えてしまう。

 そうならないためにやるべきことを国はやろうとしていない。むしろ文化を殺そうとしている。これに対して非常に憤りを感じる。こんな政治が保守を自称する連中から支持されてやまないのが不思議でならない。本当に日本の文化や伝統なんてどうでも良いんだな。

 それでも漫画やアニメ、ゲームなどの現代文化もあるので「何も残らない」とも言うまいが、果たしてそれだけで良いのか。歴史ある国はそれ以上のものを持っており維持し続けている。財務省は都合の良い部分だけ他国の美術館と比較するが、カネでしか文化の重みを量れないとは何とも情けない話だ。ひょっとしたら「名のある古美術品よりも今稼げている鬼滅の刃の方が上」とか思っているのだろうか。単純に収益性だけで比較できるものではない。

責任転嫁するな

 何でも自己責任論で片付けてしまえば国民は勝手に自分たちを責めて自滅していく。その思惑が面白いくらい根付いた現代の日本人の中からはこの問題に関しても自己責任論的な意見が次々湧き上がる。しかし、おかしいとは思わないのか。すぐに自分たちを責めることに慣れすぎでは?同じ国民相手なら言いやすいもんな?政治家を批判するより。

 「もっと国民が博物館や美術館に足しげく通って支えるべき」と言いたいのは理解するが、それが出来るような経済的・精神的余裕を国民から奪い続けて来たのが日本政府(特に自民党)であり、その上で「カネを出さない国民が悪い」はあまりに酷い帰結。そこで政府を批判するなと言うのは無理がある。

 そこまで言うなら、多くの国民が博物館や美術館に足繁く通えるだけの余裕を国民に与えてはどうか。それが出来ないなら無理を言うな。

 「国ばかりアテにするな」というが、だったら何のために国は、政府はあると思う?それも”国立”の博物館や美術館について。国民の利益を抜きにしても、国としてもそこにある収蔵物を守り維持することに意義・価値はあると思うが。

 この意見もズレている。すぐ国民を悪者にしたがるが、国民は教養を持つことを嫌ってなどいない。教養のある人間に対する「確かに凄いけど結局そういう人って金持ちの家の子なんだよね」という嫉妬はあれど、教養そのものに対する嫌悪は少なくとも私は見たことが無い。

 そこにあるのはどちらかと言えば「無関心」であろう。教養を嫌うだの何だのの以前に多くの国民にとってはそんなものは今や「どうでもいい」のだ。有名な絵画の中に描かれた要素を見つけてその意味が理解できるよりも、どこでどう買い物するのが得だとかどこの株をどれだけ買えば優待がもらえるだとか、そういった目先の利益を最大化出来る者が偉い、賢いとされつつある。

 「教養」という言葉の指す範囲は様々*1だが、少なくとも上で紹介した投稿における教養の意味についてはそうだろう。

 ここまでさもしい国民を増やしてしまったのは自民党政権による失政。根本的にはそれを性懲りもなく支持し続けて来た日本国民が悪いというなら一理ある。が、今回の件に関しては選挙で落とせない官僚も悪い。特に財務省の官僚。財務官僚の言うがままにしていては国が滅ぶ。

 残念ながら勉強が出来るだけで物事の理非を知らず、大局的も持たず、合理化こそが至上命題だと疑わない官僚を選挙では排除できない。彼らは選挙など関係ないから。本来であれば政治家が彼らを制御するべきなのだが、御するどころか官僚に国会答弁の答案を書いてもらっている始末。本当に日本は民主主義なのか?間接官僚主義ではないのか。

 思えば、財務省はウクライナ戦争についても「ジャベリンがあるなら戦車いらなくない?」などとふざけたことを抜かしていた。財務省の役人は勉強が出来ることは確かかも知れないがそれだけで現実を知らん。人の心も分からないし国家観も大局的な考えもない。財務省は罪謀省。一人残らず「ジャベリンあったら戦車いらない」論をウクライナで実践して全員無言で帰って来たら良い。

 この意見についてもズレていると思う。簡単に言ってくれるが「博物館や美術館に足を運びたくなるような義務教育」など一体どうやって行うのか。素人が思うほどそれは簡単な話ではないだろう。実際にどういう教育をすれば良いと思う?それだけの余裕が今の教育界や保護者にあると思うか。

 そう簡単に人を動かせるなら誰も苦労しない。そして結局は収益性の話をすることに私は同意できない。1にも2にも、少子化対策にせよ文化的豊かさの維持にせよ、国民に何かをさせたいならまず経済的豊かさを取り戻させることだ。政府がやるべきは経済対策、(特に現役世代の)負担軽減、減税。本当に必要のない部分の無駄を削ること。

 これを言うと「政府や官僚はやることはやっている。”本当に削るべき無駄”とか民主党政権で言われていた埋蔵金と同じで存在しない」と言われそうだが、私はそうは思わない。そう堂々と言ってのけられるほど日本政府、自民党のカネの使い方を信用できない。常に国民が監視し圧力をかけていく必要がある。

豊かさとは何か

 「豊かさ」とは何かを定義するのは難しいが、私はその尺度を「どれだけ無駄が多くてそれを許容する余裕があるか」と捉えている。無駄が多いばかりでもダメだし、無駄が多くても余裕が無ければ豊かさは感じられない。

 究極的に言えば人間、食って出して寝て繁殖する以外は生物として無駄だ。無駄を徹底的に「合理性から鑑みて排除するべき悪である」と捉えるならばそれに関わること以外はする必要がない。

 しかし、非合理的でカネにならない事でも我々は日々進んでやっている。テレビやYouTubeを観て無の時間を過ごしたり音楽を聴いたり小説を読んだり。食事をするにしても様々な食材を工夫をこらして調理してから食べる。衣服で個性を表現し、意匠を凝らした住居に住まい、時として旅行と称して生活に関係無い地に必要性なく出向いたり、祭りと称して大騒ぎする。

 身も蓋もないことを言えばこれらは無駄なことだが、このような無駄が一切排除された生活は極めて味気ないものになるだろう。「豊かさ」とはただ物質的な量の話だけではない。そこにどれだけの無駄があり、そこにいる人間にどれだけ無駄を楽しめるだけの経済的・精神的余裕があるかで決まる。

 なので東京に住んでいても豊かとは言い難い暮らしをしている人間はごまんといるし、不便で何もないド田舎に住んでいてもそれなりに豊かな暮らしをしている人間がいる。

 今の日本は「無駄なものの多さ>>人々の余裕」という状況であり、国民は本当の意味で日本の豊かさを享受出来ていない。メディアはインバウンドだ何だと景況感を煽るがそこで楽しんでいるのは外国人ばかり。日本人はすぐ近くの博物館にすらあまり行かない、行こうと思わない、行こうと思えるだけの余裕が無い。せいぜいYouTubeだカラオケだ食べ歩きでインスタ映えだのとお安く楽しめる娯楽ばかり。

 断っておくがYouTubeやカラオケやインスタが悪いと言いたい訳ではない。何を好むかは人それぞれで良いし、私だってお安い娯楽で日々を満足に過ごしている庶民の1人だ。

 しかし同時に、失政による経済的・精神的余裕の無さが国民の嗜好すら変えてしまっていると私は感じる。「私はこれが自然と好きになったんだ」と言うのは構わないが、果たしてそれは他のあらゆる娯楽を試してから「これが好き」と言うようになったのか。「手が届く範囲の中ではこれが一番好きだった」ではないのか。

 この流れの中で安易に「自分たちには手が届かない無駄は削って良い無駄だ」という思考が広がり、合理的な思考がそれを後押ししてしまうことを危惧せざるを得ない。その先には「豊かさ」の残りようが無いからだ。隙あらば無駄に見えるものを削ろうとする思考では豊かさは取り戻せない。

 少なくともこれから先、国民に経済的・精神的余裕を取り戻す気があるのならば、余裕を取り戻した時に楽しめるものも残しておいた方が良い。少しでも無駄を許容できる心づもりをしておいた方が良い。でなければこの先、今自分が楽しんでいるものが「削って良い無駄」とされるかも知れない。自己責任論で贅沢だ何だと叩かれるかも知れない。「贅沢は敵だ」の標語は遠いようですぐそこに戻って来ている。

「政治行政に削るべき無駄が無いか」はまた別の話

 自民党、日本維新の会と優秀な官僚とやらは揃いも揃って肝心な削るべき無駄は削らない。むしろ必要な所を削ってろくでもない所にばかりカネを流す。ろくでもない政治家連中は国民みずから選挙で削るべきなのだが、先の選挙ではむしろ良くないレベルで大勝させてしまったからなあ・・・。そのうち国民の声が政治家にとって削るべき無駄として削られるだろう。

 何ならその流れは既に起きている。「国民会議」とやらで議論から少数野党を排除し、比例代表制の議席数削減という形で露骨に与党有利(少数派の意見を反映する議席数の削減)を目指している。先の強行採決も安倍政権におけるそれと違い、ろくに議論しないまま強行採決してしまった。いよいよ自民党の奢りが看過できないまでになっている。国会軽視も甚だしい。

 それにしても、日本維新の会の「結論が出なかったら自動的に比例代表制から45議席削減」って何だよ。結論が出なかったら現状維持にするのが普通だろアホか。大阪都構想もいい加減にしつこいし。何もおもろないねん。

 

*1:有名なアニメを教養とみなしたりする向きもあるが、それは単純に媒体の好みや新しいものが好きかどうかの問題もあると思う