ヤマネコ目線

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ウクライナ戦争から考える日本の安全保障の今後

 2022年3月23日現在では、ウクライナ戦争は未だに決着の兆しがない。ロシア軍は戦費が嵩み過ぎてもう動けないだろうという見方もあるが、一方で化学兵器核兵器をチラつかせている以上、戦争の行方は楽観視できないと考えている。もはや「なるようにしかならん」であり、いま我々が考えるべきは日本の安全保障の今後である。

憲法改正を急ぐ必要はない

 最初に断っておくが私は憲法改正に「絶対反対」ではない。時期が来ればすれば良いと思っている。その時期は本当になかなか来ないのだが。

 一部ではにわかに憲法改正がどうの、という話も出ているが、私は正直いまの政権で、あるいは自民党老人会の皆様の下での憲法改正には反対である。自民党が公開している憲法改正草案は明らかに現行憲法より劣化しているからだ。文章は現代風になっているものの、なぜ削除する必要があるのか分からない場所を削除し、余計な文章を追加し、改良というよりは「後退」という感じで正直、右寄りな私からしてもあれは無い。というか何だあの無駄に多い変更箇所は。年寄り政治家のズレた間隔であそこまで大幅な改正などされてたまるか。

 そもそも主権者たる日本国民が置いてけぼりになっている。国民の政治への関心が薄れているのを「良いこと」として捉えるか、「憲法改正にはまだ相応しい時期ではない」と捉えるかで、政治家の本性は透けて見える。国民の無関心と他国の紛争をめぐる危機感にツケ込んで憲法改正など、させる訳にはいかない。つまるところ憲法改正は今すべき事ではない。その前にまず経済を立て直せ!出来ないなら引退しろ政治家ども!

核戦力が無ければ結局は侵略を受ける

 ウクライナ戦争から学ぶべき最も重要な事は、核兵器による戦力の均衡なしにはいかなる時代であれ、いかなる場所であれ戦争が起こり得るという事である。ウクライナは欧州に近いしキリスト教徒の白人が多いので注目され手厚い支援も受けているが、これはイラク戦争ガザ地区を見ても明らかである。核兵器という圧倒的な力を武器とし、核戦争の脅威を盾にして戦争はやって来る。人間は本質的に戦争を避ける事が出来ないし、そこで核兵器による紙一重の平和を保っている訳だが、それ自体の良し悪しは別として核兵器が無ければ世界は平和という訳でもない。結局、核保有国と対等に渡り合えるのは核保有国しかないのだ。

米軍基地に核戦力を配備させる

 今の日本に出来る最大の安全保障強化は、国内にあって国内にあらずの米軍基地への核戦力配備を認めることである。非核三原則の見直しや日本そのものの核武装は世論がまず許さないだろう。その点、米軍基地であれば法的には日本国外にあたるため非核三原則からはロジック的に外れるし、日本国内の人間がどれだけ騒ごうが米軍基地内はアメリカ政府の管轄である。そこに何を配備しようがアメリカ政府の自由であり、国内の敵対勢力や敗北主義者も手を出すことはしづらい。擬似的であれど、日本を核武装させる事が最も現実的に、かつ迅速に出来るのはこの方法しかない。

 もちろん反発はあるだろうが、戦後から今に至るまで日本人はアメリカの核戦力の傘の下で安穏と暮らして来た。今さら米軍基地に核戦力を配備されたところで大して違いはない。むしろそうなればより一層、中国が日本を攻撃しづらくなる。もし攻撃するとしても、最も優先して攻撃すべき場所=核戦力のある米軍基地となり、日本を攻撃することは今以上に米軍との衝突を避けられない事と同義となる。

 肝心の日本そのものに戦力の限りがあり、国家としても落ちぶれゆく一方である以上、何らかの形で安全保障のテコ入れは必須であり、それは早いうちにやっておくに越した事はない。