ヤマネコ目線

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都知事選の全裸ポスター

 東京都知事選挙において全裸の女性のポスターを貼った候補がおり、警視庁から警告を受けて候補者側がポスターを剥がす珍事が発生した。

news.yahoo.co.jp

(記事題:警告受けほぼ全裸のポスター撤去)

全容

 ポスターを掲示した候補者は自称ジョーカー議員こと河合悠裕氏。候補者本人の顔は女性の局部と乳首を隠す形で(それも顔を白塗りした写真で)印刷されている。

 河合氏の議会活動用アカウント。プロフィール欄に書いていることを見るに、あくまで至極個人的な感想だが政治を食い物にしようと目論む人間のマーケティングの典型に見える。京都大学を出てやっている事がこれかよ。

 モデルになった人物は桜井みう氏。「世界一何でもするギャル」と書いてあるがもう少し仕事を選んで欲しい。それで良いのか。人として。

なぜ選挙ポスターがここまで混沌とするのか

 「自由には責任が伴う」という話はもはや語るまでも無いとして、今回のポスターは迷惑防止条例によって剥がすよう指示された訳だが、それ以前に選挙のポスターに関して規制が甘過ぎるのが第一の問題ではないか。具体的には覚えていないが、今回以外でも「これは許されるの?」と疑問に思うようなポスターはあったように思う。

 大体、選挙管理委員会は例のポスターを確認してはいないのか。都の迷惑防止条例を根拠として撤去指示が下された訳だが、都の選挙管理委員会迷惑防止条例に基づいて事前に止めることは出来なかったのか。その点についても疑問である。「表現の自由」で押し通そうとする人間は憲法で掲げられる自由権の方が条例よりも上だと言うだろうが、公共の利益に反する権利は制限され得るのでその手の擁護は無理がある。

 なお、今回のポスターは迷惑防止条例ではなく猥褻物頒布等の罪(いわゆる猥褻物陳列罪)に該当しないのかと思うが、条文や解釈を確認するに局部を露出していないならセーフの可能性が高い。乳首や陰部を候補者の顔で隠しているからセーフ。ふ~ん、とにかく明るい安村アキラ100%もセーフだったもんな。

 他にも出会い系サイトと見せかけた詐欺サイトへ誘導するQRコードが印刷された、明らかに選挙と無関係なポスターが大量に貼ってある事例もあったようだ。画像を見る限り候補者の名前すら無い。こんなのはどこの誰が貼ったのか確認して処罰するべき。

 なぜこんな事が事前に止められないのか。妙な所で規制が厳しい割に電動キックボードだのソーラーパネルだの、規制が変にユルい所がある。これを期に徹底的に見直して欲しい。

 選挙ポスターなんかもっとシンプルで良い筈だ。全員青背景、正面からの顔写真、氏名と1フレーズ程度で良いのでは。掲示枠の販売も禁止して欲しい。NHK党がやっているらしいが本当に「衆愚の衆愚による衆愚のための政治」という感じ。

候補者が多い

 最終は56人だったので上の画像は漏れがある。よくもまあこれだけ候補者が出て来たものだと呆れるばかりだが、選択肢が多いことは一概に良いとも悪いとも言いづらい。「多過ぎる」と言えば確かにそうなのだが、選択肢が少な過ぎる地方の選挙よりはむしろ賑やかで良いとも思える。

 しかし衆愚というか数ばかり多くて質が低いのは頂けない。玉石混交どころではなく石々混交。このNHK党の多さは何とかならんのか・・・同じ政党からの候補者数を絞るだけでも1列くらいは減る。他の候補者も何の目的で立候補しているのか得体のしれないのが多い。何だよ「アキノリ将軍未満」って。興味本位でggったら寒気したわ。これが民主主義だと言われればそれまでなのだが。どこぞの国は元コメディアンの大統領の下で侵略に抵抗しているしな。

 結局、ここまで泡沫候補が多いと知名度勝負になってなんだかんだで現職が勝ちそう。蓮舫氏も良い勝負にはなりそうだがネガティブなイメージが強い上、後援が立憲、共産、社民ではむしろマイナスではないか。田母神氏は一部の右翼が支持しているだけで全体で見れば勝ち目は薄い。無党派層が一番多いと言われる東京ではなおさら。

全裸ポスターに対する至極、個人的な感想

 「表現の自由」を履き違え、自由のためと言いながら明らかに反感を買うような今回の行動はどう足掻いても擁護できない。表現の自由にとっても、それを規制しようと考える人間にとっても敵でしかない。いくら何でも限度というものがある。

 それも候補者本人は白塗りでコスプレをして半ば素顔を隠し、ポスターに印刷された写真も小さく収め、候補者ではない女性を「表現の自由」のもとに矢面に立たせる。そういう事をやるなら自分が全裸になってやれよ。それが出来ないあたり卑怯で人間の小ささが透けて見える。

 また、今回の件を「表現の自由戦士オウンゴール」だのと言い出すいわゆるフェミニスト界隈が出てきたのはもはや一周回って面白い。彼らからすれば表現の自由を声高に叫ぶ人々のせいで今回のような輩が出てきたと主張したい訳だが、そもそもの問題は彼らが敵視する表現の自由の範囲が広すぎることであって、その範囲の中で「いくら何でも限度がある」という話は十二分に通用する。表現の自由を守るという話と、今回のような明らかに行き過ぎた表現は規制するべきという話は両立し得る。矛盾しない。

 俺も立候補するか(時すでに遅し)