ヤマネコ目線

大体独り言、たまに写真その他、レビュー等

アニメの見方

 書き散らし。ONE PIECEの映画の見方について会話していて思ったことをネタにしてみる。私は絵を描く人間の端くれでカメラ趣味なので、アニメを見る上ではどうしても作画の難易度やカメラワークといった観点が入ってしまう。そういうメタ的な要素についての話。ぶっちゃけ私はFate(ufotable製作)を見るまでは「アニメ映画はやっぱアニメ映画」という認識だった。しかし製作側のことを考えるとやはり最近のアニメは凄い。

炭治郎の羽織は凶悪

 鬼滅の刃の主人公、竈門炭治郎の市松模様の羽織はなかなか見る側にとっては何てことないように見える柄だが、描く側からすればかなり面倒くさいものの好例。単に私の技量が無いのもあるが、あれをいざ描こうとすると結構難しいものがある。

 市松模様はシンプルな図柄な分、かえって誤魔化しが利きづらい。正方形の図柄の組み合わせ、それを羽織という曲面に着物らしく見えるように落とし込まなければ違和感が出る。それも実際に炭治郎でggってもらえば分かるが、服としてのシワや縫い目、部位による柄の大小といった要素も込みで考えなければならない。これが見る側はあまり意識していないだろうが、描く側はかなり意識しているし疲れる点。自分で絵を描く側になればそういった所が見えて来て面白い。というかよく吾峠先生はあれを週刊連載で描こうとしたな・・・

アクションシーンの差

 アクションシーンではアニメスタジオの力量がよく分かる。大抵のアニメではキャラクターが見切れるほど寄りで、なおかつ望遠で撮っているかのような狭い画角でスピード感を演出して良く言えばそれっぽく見える工夫を、悪く言えば誤魔化した描き方をする事が多い。

 その点、キャラクターの全身がカメラというか、画面に収まっているほど作画のレベルが往々にして高い部類であると言える(と思う)。もちろんアニメスタジオによってそれぞれの良さがあるし、「どこまで求められているか」もそれぞれ違う訳だが、やはり作品の見栄え、レベルとしては戦闘シーンがある以上はなかなか妥協して欲しくない所がある。

 私見だがそういった面では鬼滅の刃Fateで有名なufotableのレベルは異常。むしろあれをあって当然のクオリティと思ってはいけない。もし私がアニメ業界関連の人間やアニメーターなら、週間アニメで遊郭編の戦闘シーンのようなものを出されると苦笑いしか浮かばないと思う。あれを視聴者が見慣れてしまう、あのレベルが当然だと思われるのが怖い、そんなレベル。

 ufotableが手掛けた映画三部作、Fate/stay night Heaven's Feel III : Spring Songの大一番の戦闘シーンなど、メイキングを見るだけで「よくぞこんなシーンを描き切ってくれた」と泣けて来るレベル。傍から見れば変なヤツでしかないが、一体どれだけの修行を積めばあんなシーンを描けるのか分からない。ある種、刀を見てその美しさに涙が出るというのに似ている。分かる人には分かるが、分からない人にはいつまでも分からない。何となく消費するだけの人間と、趣味であれ仕事であれ実際に何かを創ることに携わってその大変さを理解している人間では作品を見る目は違ってくる。

カメラワークの差

 アクションシーンと共通する部分があるが、当然ながらカメラワークは画角が狭い、望遠チックなシーンの方が描くのは楽になる。極端な話、キャラクターの顔だけを映すのと全身を映すのではどちらが簡単か、どちらが情報量が多そうかは想像に易いだろう。激しいシーンでキャラクターの全身が映っていればいるほどそのアニメを作った会社の能力は高いと言える。

 更に言えば、実際にアニメの世界を回転しながら撮影しているかのようなシーンはかなり難易度が高い。明らかに分かりやすいのは「立っている登場人物の周囲を水平にぐるっと回るようなシーン」か。見せ場として使用されることが多い。これが斜め上から、下からなどになるほど、動かく角度が大きいほど難易度は高い。

 また、カメラ趣味の人なら知っていると思うがカメラには被写界深度というものがある。簡単に言えば背景ボケの要素。子供向けあるいは子供も見るアニメでは大抵オミットされているか、表現として用いられることが少ない。被写界深度の要素を取り入れれば取り入れるほどシネマティックに、高級感あるアニメになるとも言える。

www.nikon-image.com

 アニメによっては更にフォーカスブリージングを取り入れている場合もある。フォーカスブリージングはカメラではAF(オートフォーカス)における問題で、カメラがピントを合わせる位置に迷い、ピントが合っている位置が呼吸をする(ブリージング)ようにゆらゆら前後に揺れてしまう現象を言う。よくあるのは「気絶していた主人公が目を覚ますシーン」で、画面が主人公の一人称視点、なかなか目のピントが合わずに目の前にいる人がボヤけたりくっきり見えたりする。厳密にはカメラのフォーカスブリージングと少し違うが、似たような感じではある。そういったシーン以外では、カメラの手ブレ再現と共に使用して映っているキャラクターの心情の迷いなどを表現するために使用される。

その他

 メタ的なことを突き詰めて言うなら、演出のためのライティングやカメラ位置もいろいろと考えて見ると面白い。ライティングはおおよそ不自然なものが多いので「そうはならんだろ」と醒めてしまう人もいるかも知れないが、そうは言ってもアニメで夜間のシーンを描くのに本当に真っ暗闇にしたり、高ISO感度のノイズを加えたりする訳にもいくまい。演出のために適度な嘘を混ぜるのはどんな形であれ必要。

 ゲーム・オブ・スローンズだったか、の撮影で不自然なライトに「この光源はどこから来てるんだ」と言った俳優がおり、「(ドラマ中の)音楽と同じところからです」とスタッフが答えた話があるらしい。本来であればそのシーンでは場に音楽など流れていないがそれぞれのシーンを盛り上げるためにはBGMは必要な訳で、そういったフィクションというか演出は必要な嘘と言える。