ヤマネコ目線

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本屋に行かなくなった

 書き散らし。そう言えば最近、本屋に行かなくなったなあとTwitterを見ていて思った。もともと思想に関する本なんかは、それを読むと他人の思考に自分が染まってしまうような気がして遠ざけていたのだが、それを置いても雑誌やマンガすら最近は買いに行こうと思わない。

 おそらくネット環境と育った社会情勢なんかが影響するのだろうと自己分析している。どんどん悪くなっていく社会、不況の中で、あえてお金を出して更新もされない、場所も取る紙媒体の情報を買う余裕は、少なくとも私には無い。他の人がどこまでそういう考え方なのかは知らないが、Twitterではそういった人が増えたという本屋のスタッフらしき人のツイートを見かけた。立ち読みして欲しい情報を頭に入れ、本は買わずに立ち去る人間が増えているという。思えば数年前から「デジタル万引き」も問題になっていた。*1

 活字が好きな人はそれはそれで素晴らしいと思うし、否定する気はさらさら無い。ただ、大衆からは活字に触れるだけの余裕がもはや無くなりつつあるのかも知れない。雑誌を買うお金、物理的に置いておくスペース、自分にとって必要な情報以外の情報を取り込むだけの余裕、読むための時間的な余裕。そういったものがある種、「ぜいたく品」になりつつある空気を感じる。それらは一概に何が原因だと決めるのは難しいが、大まかに言えば「格差拡大」「デジタル化」「スマホの普及」あたりなのだろう。

 格差拡大が一番大きな要因だと思うが、結局、お金が無いと人間はどんどんムダ(と思えるもの)を切り捨てて行くしかなくなる。特に若年層はお金がない。日常生活で費やせるリソースが限られる以上、いかに少ない原資でいかに自分が楽しめるかが優先される。それが言葉として現れたのが「コスパ」や「タムパ」*2であり、そこに文化的な、言い方が悪いがムダな事をする余裕は無くなっている。そこで切り捨てられるものには当然、創作活動も含まれる。ものすごく熱心な一部人間を除き、若年層の主要な消費は受動的なものが占めている。

 デジタル化に関しては時代の流れとして当然で、実際に本を置いておくスペースを確保するのが物理的に難しい以上、デジタルで済むならそれが良い人は増える。端末のバッテリーが切れれば読めなくなるのは欠点だが、物理的な書籍は読まない時間も延々と場所を取り続ける。捨てるにも手間がかかるし、そもそも自分が欲しい情報以外の情報(=ムダ)が多すぎる。特に雑誌は良く言えば「自分が興味ない分野の新しい情報を紹介してくれる」訳だが、「欲しい情報以外のムダが多過ぎる」とも言える訳で、そんなムダを許容する余裕は今の人間には無い。そこにもお金が掛かっているとなると尚更。

 何より紙媒体は今の基準で言えば情報のスピードも流動性も劣る。新聞はお金を払って届くのが昨日の情報であるし、ゲームの攻略本は今やゲームそのものにアップデートがあるため、そのアップデート後の情報には対応出来ない。ゲームは一例でもちろん、他の情報誌全般にこれは言える。「インターネットにあるのは死んだ情報」と聞いた事があるが、それは間違いではないにせよ紙媒体の情報もそう変わりない。

 一方でスマホの普及は「余計な情報」の洪水をもたらしている。ある程度、自分で情報を取捨選択できる力が身についているならば問題ないが、その力をつけないまま情報の海に圧倒されると脳は疲れてしまう。SNSによる他人との途切れのない繋がりは特に脳に負荷をかけているだろう。そこではあえて別の媒体で情報を入れる余裕など与えられない。私はネットの発展と共に大きくなって来た世代なので、情報の海を泳ぐ術をまだ心得ているつもりだが、二足歩行もままならないような幼い頃から情報の大海へ放り投げられて育つ今の子供、どこまで泳げるのだろうか。

 何にせよ、これから活字もふくめて世の中から「ムダ」はどんどん排除されて行く。文化的なムダが衰退していく一方で、毒にも薬にもならないムダがはびこる。大衆自らが参加するような文化的な活動が衰退していく。その中でも一部では優れた創作活動が出来る人間が出て来るだろうが、それは親がお金持ちの本当にごく一部の人間に限られるだろう。

*1:立ち読みをしているその場で欲しいページだけスマホで写真を撮り、そのまま本は買わずに立ち去る行為

*2:タイムパフォーマンス、時間あたりに得られるものの大きさを考慮する