ヤマネコ目線

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人道的な兵器

 先日、ロシアがアゾフスターリ製鉄所にて白燐弾を使用したニュースがあった。それに関連してTwitterでは「非人道的兵器なんて言葉はない。それではあたかも『人道的な兵器』があるかのようだ。しかし兵器自体が非人道的なんだ」(意訳)、的なツイートが注目されていた。まあ平和ボケと括って捨てるのは簡単だが、こういう話が出る度になんというかウンザリするし、ネタになるから書く。

www3.nhk.or.jp

 ちなみに3月時点で下記のような指摘がなされているので、今回も白リン弾かどうかは疑わしい。「空中炸裂拡散型の白リン弾をロシア軍は保有していない」となればそもそも使いようが無いので、ウクライナ側の宣伝戦略の可能性は高い。まあ焼夷弾には違い無いし、綺麗事を抜かす連中にとってはそんな事どうでも良いだろうが。

news.yahoo.co.jp

話のレベル

 まず「兵器自体が非人道的」、そんな事は百も承知の話であり大前提。そこで白燐弾に関しての「非人道的」という言葉の意味は、そんな兵器というカテゴリの中でも「いくら何でもやり過ぎだ」という意味での「非人道的」。「兵器自体が~」どうこうなんて話はテーブルの上ではなく足元に置かれている。もう話の段階からして違っている。いい加減にやめませんか?いきなり"人間には過ぎた綺麗事"を持ち出して来るの。

 平和ボケと簡単に言いたくはないが、いきなり場外にあるキレイ過ぎる理想論を持ち出して来てああだこうだ言い出す人間はそう呼びたくなる。

 典型的なのが「話し合いで解決」。現実は話し合いで解決できる問題ばかりではない。である以上は話し合い以外の手段(=武力)も用意しておくべきであり、それをどこまで用意しておくかという話をするのが現実的。そこで「いや、何事も話し合いで解決出来るんです!武力なんか要りません!」、と文字通り論外な事を言い出すのが「平和ボケ」。それが明らかに的外れな意見である事に気づけていない時点で、自分自身の目で世界を観察する、頭で物事を考える力が足りていない。

武器・兵器という存在

 武器・兵器というものの存在はこの世界から無くせはしない。いくら非人道的だろうが金がかかろうが、人間から生存競争、暴力といったものを切り離せない以上、武器・兵器の類も無くなる事は決してない。

 もし理性や人類の叡智とやらでそれらが無くせると信じるなら、思い上がりも甚だしい。多少の理性を持とうがそんなものは砂上の楼閣であり、人間の根底には生物・動物としての基礎がある。"生き物ではない"人間などいないし、そこから野生も生存競争も暴力も切り離せはしない。我々の行動は生物としての根本にもとづいており、理性が支配的なのはごく一部に過ぎない。

 ましてや知性、人類の叡智なるものは人類が生存競争において発展させて来た最大の武器であり、我々はそれをもってして現に生態系の頂点にいる。人類が誕生して間もない内こそ、知性は純粋に自然の中で生き残っていくための武器であっただろう。しかし次第に生存競争の相手が人間同士になってからは、その武器を活かす相手が人間になった。人間同士の知恵比べの中で生まれた数々の武器・兵器はそれこそ武器としての知性の具現化と言える。地球上の生物で、人間だけが過剰な攻撃力を持っているのはそのためだ。軍事に金がかかるのも当然である。地球上でもっとも賢い生物(それも猛烈に反撃してくる)を殺そうという時に、それに金や労力が掛からない筈がない。

一番身近な武器

 一番身近な武器を考えた事はあるだろうか。包丁?ペン?その辺の鈍器?いや違う。我々の手のひら、足、頭、我々自身の体こそが一番身近な武器だ。手で持てる武器がない場合、究極的に何を使って戦うかを考えるとそこへ行き着く。映画なんかでもよくある光景だ。敵の親玉と主人公が1対1で素手で殴り合う。その時の拳が武器でなくて何なのか。足や腕を使って絞め殺す、その四肢が武器でなくて何なのか。たとえ殴り合いに使える石や木の棒すらなくなった所で、我々は体一つで争いを続けるのである。

 我々自身の体が武器たり得ると分かった所で、それを人類から切り離す事は出来ない。現実的に不可能だからだ。腕を切り落とすか?足も切り落とすか?口は?皮肉にも、人類にとって一番非人道的と言える存在は人類かも知れない。よく「生きている人間が一番恐ろしい」と言うが、それは間違いでも何でもない。どこぞのライフル協会ではないが、武器をもって人間を殺すのは人間だけだ。

 結局、武器・兵器そのものが非人道的か否かを論じるのは最初から意味がない。それは人の道、人間の一部なのだから。その存在を認めた上で、どこまでの武器・兵器を認めるかが議論の本筋である。

ライフル協会について

 名前を出したので書いておくが、私は全米ライフル協会を支持する立場にはない。「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」という文言は一理あって一理ないからだ。アメリカの銃社会問題は「銃が身近過ぎる」ことが問題なのであり、銃が人道的かどうかは関係ない。引き金を引けば簡単に大勢の人間を殺傷できる道具が日常のすぐそこ、それこそ何かで頭に血が上った時に簡単に手がとどく場所にある事が問題であり、それを肯定する事は出来ない。

 「人に大量殺人をたやすくさせるのは銃である」

非人道的な武器・兵器とは何か

 ついでなので、武器・兵器の中でも「非人道的」と言わざるを得ないものは何かを見ていこう。代表的なものはNBC兵器だろう。Nuclear(核)、Biological(生物)、Chemical(化学)兵器の頭文字を取ってNBC兵器、それらは特に「大量破壊兵器」と呼ばれる。

大量破壊兵器 - Wikipedia

 当の白リン弾は「非人道的」かどうかに議論がある。使用目的が発煙弾、照明弾、焼夷弾と多岐に渡るので用途によっても賛否は分かれるだろうし、アメリカやイスラエルも使用している以上、ロシア軍が使用しても一方的に非難されるべきか疑問ではある。

*リンク先注意:記事の下にやけどの写真あり

白リン弾 - Wikipedia

 NBC兵器以外で非人道的兵器の筆頭は地雷だろう。戦闘が終了しても設置された地域に残り続け、戦闘員かそうでないか関係なく殺傷する。近年は遠隔操作で起爆や一時的な無効化、自爆などができるスマート地雷なるものも登場しており、ロシア軍がまさにウクライナで使用したとの報道もある。スマート地雷になったからといって悪質極まりない兵器である事に変わりはないと思うが、放っておくだけで相手を殺傷する事ができる、侵入あるいは追ってくる相手に対するこの上ない牽制になるのは間違いない。スマート地雷ならば、友軍が設置地域を通過する時だけ無効化して進軍を妨げる事もない。

地雷 - Wikipedia

milirepo.sabatech.jp

 クラスター爆弾も有名な兵器。1つの爆弾に子爆弾を詰め込んで投下、空中で子爆弾を撒き散らして広範囲を一度に攻撃可能な兵器。不発の子爆弾が非戦闘員に被害を及ぼすことが問題視され、2006年頃から使用禁止に向けた動きが始まった。日本はクラスター爆弾禁止条約(オスロ条約)に加盟しているが、アメリカ、ロシア、中国は加盟していない。子爆弾の不発に関しては一定時間経過後の自爆機能追加、不発弾の割合を下げるなどの対処がされている。使用する側としては1発で広範囲を制圧可能な兵器であり、正規軍同士での戦闘においては絶大な威力を発揮するので手放せない国があるのも無理はない。専守防衛でもかなり役立つと思うのだが・・・。

クラスター爆弾 - Wikipedia

 「ダムダム弾」は知らない人が多いのではないだろうか。人体に着弾すると容易に変形する弾丸(要は比較的柔らかい)で、人体に大きな損傷を与えるとされる。柔らかさは鉛によるもので、鉛中毒による傷口の治りにくさもあるとされ、1899年に「ダムダム弾禁止宣言」がなされている。正直、ホローポイント弾だとか何だとかと違いは分からん。どれも多分、猛烈に痛い。

ダムダム弾禁止宣言 - Wikipedia

 目潰し用レーザー兵器も非人道的とされた兵器。現在、米軍では高出力レーザー兵器を開発しているが、純然たる兵器レベルの出力が出ない黎明期は敵兵の目を潰す目的でレーザー兵器が検討された事があった。中国などでも検討されたが結局、各国がテロリストに利用されることを危惧して目潰し目的の兵器では使用・移譲が禁止された。現代日本でもたまに自衛隊機や米軍機に対してレーザーを照射する輩がいるが、あれも非人道的と言えるかも知れない。そういう正義気取りは「人殺しを殺しても問題はない」と言いそうだが。だから争いって無くならないんですね~。

 目潰し目的では非人道的とされるレーザー兵器だが、ミサイルやドローン迎撃では注目されており、米軍では車載型や艦載型が既に実用レベルまで来ている。下記の記事なんかは2013年の話。

www.afpbb.com

 その他、対物ライフルで人を撃つ行為や劣化ウラン弾の使用、燃料気化爆弾なども使用の是非が議論されている。対物ライフルに関して言えば使用弾薬はいわゆる重機関銃と同じなので、「重機関銃で人を撃つのはOKだけど、同じ口径の狙撃銃で人を撃つのは非人道的」、というのも妙な話ではある。

 まあ何にせよ、人道的か非人道的かなんて戦争においてはどうでも良いのだろう。戦争とは非日常、人間が野生へ帰る世界であり、禁止条約だの何だのといった"法"が通用する世界ではない。法が通じる世界ならば第一に殺人が許されない訳で、逆説的に言えば殺人が許容される事態においてあれは禁止、これは禁止だの、お笑いでしかない。極論を言えば戦争では何を使おうが勝ちさえすれば良い。後からいくら非難されようが死者は蘇ったりしないのだから。核兵器を除いては。