書き散らし。特にデータも無しに個人的な考えを述べるだけ。
労働者側に生産性を上げるメリットが存在しない
暴論かも知れないが私はこれに尽きると考えている。生産性をいくら上げてもそれに応じた賃金が支払われる事は無い。それどころか、生産性を上げて仕事に余裕が出来ればそこに余計な仕事が追加され、賃金が据え置きのまま以前よりも余裕が無い状態になる。結果として誰しもが考えるのが「生産性を上げても苦しくなるだけ」、「だったらダラダラ仕事して生産性を上げないで今で手一杯なように見せかけよう」。かくして日本人の労働生産性は上がらない。
No Work No Payは声高に叫ぶくせに、平気でサビ残させる、労働生産性を上げても給与は上がらない。遅刻早退はキッチリつける癖に、サビ残で残っている時間は無かった事にする。おかしいと思いませんか。働き方改革だの何だのよりまずそこ。日本企業はやるべき事をやっていない。私のいる会社はまだちゃんとしている方ではあるが、逆に最低限の事が出来ていないのが当然のように言われる社会で労働生産性がどうのなんて笑わせる。
極論で考える
では、労働生産性を上げて余裕が出来てもそこに仕事を与えるなと言うのか、時間が余っている人間に追加の仕事をさせる必要がないと言うのか、と言われるとそれは違う。そこで労働者に明確なメリットが存在しないから問題なのであって、あくまで利害関係での繋がりでしかない雇用・被雇用関係ではそれを無視してまで会社に尽くそうと言う人材はいない。低賃金であればなおさらである。低賃金であればあるほどそのあたりの関係、意識がドライになるのは想像に難くないだろう。
取られるものが多すぎる
賃金は高い方が良いに越した事はないが、今の給与明細を見るとなんと取られるものの多い事か。私は給与関係の仕事をしているが、手取り30万稼ごうと思うと額面約40万必要と知って愕然とした。令和4年度の国民負担率は46%とほぼ50%近い。頑張って昇進して良い給料もらおう!と思ってもそこで待ち構えているのは増すばかりの税金と責任である。
転売ヤーが流行っているのはそうした税金、少なくとも社会保険料から逃れられる収入源欲しさだろう。逆に言えば会社員として頑張って稼ぐより、そういった世の中から憎まれる行為の方が実入りが良い。なんとも悲しい話だ。
学生時代を振り返って
学生時代、私は恥ずかしながら「どうして日本人の労働生産性はそんなに低いんだ!情けない」、みたいな感覚で居た。もちろんその裏にはちゃんとした理由があるのだろうとは思っていたが、それにしたっていざ当事者の立場に立つとやるせない。どんどん効率化しよう、生産性を上げようと志高くいるのは良い。しかしそれに伴うものが無い。業界的な要素も多分にあるのだが結局は「骨折り損」しかない。