ヤマネコ目線

大体独り言、たまに写真その他、レビュー等

あいトリへの補助金不交付は妥当

 あいちトリエンナーレでの展示物と、補助金交付を巡って様々な論議が交わされている。ここで思う事を少し書いておきたい。内容的には補助金交付に反対の立場から好き勝手書いていくだけなので、賛成の方は読まない自由を行使されることをおすすめする。

表現の自由と批判する自由

 あいトリとその展示物への批判は2つの自由の衝突、表現の自由と批判する自由の衝突と言える。しかしそこで疑問に感じるのは、あんな展示が果たして表現の自由として許容されて良いのかどうかである。問題とされている慰安婦像や昭和天皇の写真を焼く映像の他にも、展示物はあったのだろう。しかしそれらがアートとして許容されるべきかどうか、そこからまず疑わしく感じられる。あれはヘイト表現には当たらないのか。韓国の政治的な活動に加担しているのではないのか。そういったものをアートと称して許容して良いのか。そこが日本人として納得できない点であり、税金から補助金を出してまでやるべき事とは到底思えない、ましてや7,000万円以上の補助金を出す事など容認できないのである。

 もしああいった展示物をアートと称し、表現の自由の範囲内とするのであれば、その他のヘイト表現、政治的な表現もアートと称せば、表現の自由の範囲内に納まるのか。おそらく彼らは逆の事、つまり彼らにとって面白くないとされる事で同じ事をされれば、たちまち手のひらを返して「検閲」するだろう。どの立場に立つにせよ、そんな事は許容されないと考える。

 そもそもああいった展示をしたいのであれば、彼らは補助金をアテにすべきではない。あの展示内容は明らかにアートではなく政治活動であり、行政がそういった民間の政治活動に補助金を出すには、手続き面で不備があると言わざるを得ない。アート、芸術作品の展示などという建前で国から税金をもらって政治活動しようなどと狡い事をするのではなく、土俵を変えるか、お仲間からのカンパやクラウドファンディングで資金を募るべきだろう。

論点をどこに置くか

 あいトリ問題は検閲や不寛容、表現の自由の問題として議論されているが、その前にああいった展示物がアートと言える範囲か、ヘイト表現ではないのか、特定の国の政治活動に加担したものではないのかを論じるべきだと感じる。いずれの論点もまず「展示物はアート」だったとの前提で話が進んでいて、その点に納得できていない人間にとってはその先を議論しても無駄としか思えない。

 中止まで追い込まれた現象は今の日本の不寛容さの表れとの意見もあるが、表現の自由がある以上は、受け手側にもそれらの表現を受け入れるかどうかの自由がある。見るに堪えないものをアートだと言い張られても、不愉快なものは不愉快。昔、カオス*ラウンジ(通称カスラジ)というアートを自称するクソどもが居たが、その団体がやった事は、他者の作品(それも版権モノ。もちろん無許可)を切り刻んで現代アートと称した展示。様々な騒動があった訳だが、アートと称して受け入れられるものにも限度がある。

 それでも作って展示するまでは見に行く行かないの自由があるから良いとして、そこでの問題は税金が投入されるという点である。それも7,000万円以上もの税金が投入されるとなれば、それは日本国民全体に展示への価値がそれだけあったかどうかを受け入れるかどうか、問う事になるのではないか。

 見る見ないの自由の選択において、受け入れる人だけが受け入れれば良いのであれば、それこそ費用は全て展示の見学了だけで賄うべきだろう。そこで補助金申請をして、受け入れるかどうかを不特定多数に迫る必要はない。